想いは皆がもっている
それを行動につなげる文化をつくる
更新日:2024.11.25
日産化学株式会社 常務執行役員 生産技術部長 生産技術部門統括
日産エンジニアリング株式会社 代表取締役社長 畑 利幸氏
日産化学株式会社
袖ケ浦工場 総務課長 田中 章博氏
日産エンジニアリング株式会社
取締役 統括部長 吉岡 達時氏
社員がどのような気持ちで自分の仕事に取り組むようにできるか。
これは今後の企業の行方を左右する、大切な経営スキルといえるかもしれない。
日産化学株式会社では、生産現場で立ち上げたプロジェクトが、これまでの「工場の普通」を変え、外部環境の変化に頼らずに自らを変える動きが起き始めた。
その発起人であり、サポーターである常務執行役員の畑利幸氏、プロジェクトリーダーの袖ケ浦工場 総務課長の田中章博氏、グループ会社の日産エンジニアリング株式会社でのプロジェクトリーダー 取締役 統括部長の吉岡達時氏にお話を伺った。
外部環境の変化に頼らず、生産現場の空気を変える
戸田 畑様は今、袖ケ浦工場での取り組みをテコにして、生産現場全体に変革の動きを波及させようとされています。その背景や課題意識をお伺いできますか。
畑 そんな大それたことをやってきたわけではないのです。私は工場技術者として日産化学に入社以来、キャリアのほとんどを工場で勤務してきました。工場の仕事というのは1人では成し遂げられない仕事です。やりがいも達成感も、チームの皆で味わってきました。任される責任が増えた後も、ずっとそんな体験を求めてきた気がします。
袖ケ浦工場は、若い頃に13年間務めた古巣です。2020年に工場長を拝命して久しぶりに戻ってきたのですが、だいぶ雰囲気が変わっていることに気づきました。袖ケ浦工場は、少量多品種生産が可能で、新製品を生み出せる能力をもった「開発型工場」です。ですが、しばらく新製品を生み出していないことに、ほとんど危機感をもっていませんでした。
工場には、もともと受け身な仕事になりがちな構造があります。新しい製品への挑戦は研究所からバトンが渡されてからのスタートですし、日々期限付きの仕事に追われてもいます。ですから、新しい価値をつくり出せる工場であり続けるためには、経営がそんな場をつくっていく必要があるでしょう。
目指すのは、開発のフロントローディング化。研究開発の段階から一緒に進められる工場になることです。ソフトもハードもテコ入れが必要です。1人ではできません。一緒に進める仲間が必要です。
共に進めるチームを、どうつくっていったか
畑 まず、自分の考えをA4用紙2枚程でまとめました。一番のこだわりは、その活動を継続的なものにするという点です。それをもって、上司、そして人事部長に協力をお願いしに行きました。その過程でセルムさんを紹介されたのでしたね。
次に袖ケ浦工場の総務課長の田中に「こういうことをやりたい」と話したところ、「いいですね、面白いですね、やりましょう」という、小気味よい返事をもらいました。
田中 私はもともと、新しいことを実行証明しながら動くということが大好きなのです。ですから、指示されたからというより、ぜひともやりたいと感じたのです。
畑 「あぁ、もう彼に任せよう」と、プロジェクトマネジャーをお願いしました。そして課室長を集め、我々なりのマインドセットを始めました。10日に1回程度の頻度で、皆でビジョンを議論し、課題図書を読み意見交換をしました。
メンバーについてもここで議論しました。縦割りの風土が強すぎるので、工場の共通課題を扱う横串のプロジェクトチームをつくりました。そのチームリーダーに指名した課長には、職種や性別、年齢層もバラエティーに富むようにメンバーを指名してもらいました。一方で、課ごとで取り組むプロジェクトチームもつくり、そのリーダーには課のナンバー2クラスを任命しました。「君が課長だったらどうするか」という訓練にもなります。
そうしてプロジェクトをスタートさせました。「マインドセットと対話が大切」といわれていたので、新しい開発型工場の姿やビジョンを対話する機会を多く設けました。これが1年目の活動です。
継続的な活動にするために
畑 次は、これを全体に広げていくフェーズです。工場を進化させる意味を込めて、プロジェクト名は「袖工UPDATE」としました。そして始めに、「マイパーパスづくりと共有」という方法を検討しました。「自分自身に向き合うことが大切」というコンセプトにはとても共感したので、まず私が取り組んでみました。
ですが、言葉はそれなりにできても、「これが本当に自分の想いなのだろうか?」と、しっくりこない。そこで社内のメンバーでさらに検討し、「仕事にフォーカスして自分のやりたいことを自覚することのほうが取り組みやすい」という結論に至りました。言葉も「マイパーパス」ではなく「マイシンカ」とし、これを柱にして取り組んだのがプロジェクトの2年目です。
これも対話の機会を増やすことがスタートとなります。ですが最初は皆、やらないのですよ。「時間がありません」という。そこで当時は毎朝行っていた、課室長から工場長への報告会を週1回に減らしました。その時間を対話に充ててもらうことにしたのです。
田中 「あれがよかった」、と複数の方からいわれました。最初は何を話せばよいのかわからなかったそうです。ですが、それでも話をしていくと、「彼はこんなことを大切にしていたのか」「こんなことが嫌なのか」とわかってくる。今まで、全然対話が足りていなかったことに気づくことになったのです。
また、畑からは何回も「私も皆と一緒に議論したい」といわれていたのですが、その度に「お願いです。我慢してください」と、いい続けました。工場の文化なのかもしれませんが、畑としては意見の中の1つとして話したつもりでも、周囲は「その方向で考えないといけない」と受け取ってしまうと思ったからです。
畑 そうしてプロジェクトがスタートして2年が経った時に、私は本社に異動になりました。活動はプロジェクトリーダーの田中と新しい工場長に引き継ぎ、今に至ります。
見えてきた成果
上 プロジェクトに取り組んだことによる変化には、どのようなものがありましたか。
畑 小さな話ですが、始めて3ヵ月くらいの時、プロジェクトからの発案で、お菓子やパン、カップ麺などの自動販売機の工場内への設置が実現しました。今までは飲み物の自動販売機しかなかったのです。スピーディーに、目に見える変化を、自分たちが起こしたということは、おそらくプロジェクト全体にとって、よかったと思います。
田中 この自動販売機はとても人気で、今では3倍くらいに増設しています。
また、縦割りの文化が強いと申し上げましたが、それでも関わりのある他部署は気になるのが人情です。「他部署との交流をしたい」と相談があったので、「やっていいよ」といったところ、すぐに計画して実行していました。同じ分析をしていても、やり方や使っている機器が少し異なるといった気づきがあり、「統一化できないのか」などと話が弾んでいます。2回目も計画しているようですし、他の課室も自律的に交流会を企画実行し始めました。
このように自分たちで考えて動くようになってきたのは、畑が異動して1年くらいたった頃からです。スタートからは3年かかりました。活動の成果発表を聞いた課室長から、「なんで今まではやらなかったの?」という質問をされたことがあるのですが、メンバーは「やっていいと思っていませんでした」と答えていました。
もともと皆の中に、想いはあるのです。でも今までは、「どうせダメといわれるだろう」と思わせる空気があったのだと、改めて気づきました。
最近では、自分で勉強したいテーマを見つけ、展示会や講習会に参加する人も増え始めました。
加島 これは変化が必要になることを見越し、変化が必要な時にすぐに動き出せる工場になっておくという意義もあると思います。
日産エンジニアリングでの取り組み
上 畑様はグループ会社の日産エンジニアリングでも、変革の動きを主導されています。そちらについても、ご紹介いただけますか。
畑 私は2023年に、日産エンジニアリングの代表取締役を非常勤ながら兼務させていただくことになりました。
日産化学の100%子会社で、社員数は27名。プラント建設などのエンジニアリングを生業としていますが、ほとんどが日産化学グループ内の業務です。このように小さな会社ではありますが、いや、小さな会社だからこそ、私も社員も、日産エンジニアリングの価値をもっと深く理解するところから始めるべきだと考えました。
そこで、袖ケ浦工場と同じような活動に取り組んではどうかと思いましたが、まずは日産エンジニアリングの常勤取締役に納得してもらわないといけません。その中の1人がここにいる吉岡です。そこでコンセプトを説明したところ、「マイシンカ」より、自分の想いを中心にした「マイパーパス」のほうが考えやすいということでした。そこでまずは、この彼らに「マイパーパス」づくりに取り組んでもらいました。
吉岡 始めに、畑から「日産エンジニアリングの皆は、楽しくなさそうに見える」という指摘をされました。その時私は、「そうだろうな」と思ってしまいました。当時の私は、多少の無理を飲み込んでも日産化学の要望を聞き入れることが自分たちの存在価値だと思い込んでいましたし、そう指導もしていました。ですから、楽しさを感じにくいだろうと思ったのです。
とにかく私は「マイパーパス」づくりに取り組みましたが、フタをしていた自分の記憶や感情をひきずりだされるような辛さを感じました。そして、つくった「マイパーパス」とその理由を社員全員の前で発表しました。すると、その反応がとてもよかったのです。実は、否定的な意見が多かったら「やめさせてください」と伝えるつもりだったのですが、いえなくなりました。
その後、全員が「マイパーパス」をつくり、主要メンバーで会社としてのパーパスも作成しました。まだ実績があるわけではなく、これからがスタートという段階です。
畑 また、ちょうどキーパーソン2名が本社の昇格前研修に参加し、変革に前向きなマインドセットをして帰ってきた時でした。彼らにとっても実践の機会となったはずで、本人たちにとっても会社にとってもラッキーなタイミングだったと思います。
吉岡 セッションを行っている間にも発言や取り組み姿勢が変わっていく人がいました。私は今まで、自分の想いと会社の仕事を結びつけられるなどと、考えもしませんでしたから、正直、羨ましい気持ちさえしました。ただ、この活動自体にアレルギー的な反応を示す人もいます。押しつけにならないように、考えていきたいと思っています。
社員全員が各人の「マイパーパス」を聞く発表会も行いました。所定のExcelのフォーマットに記入すればよいのですが、PowerPointで資料を整えてきたり、「リラックスして聞いてほしい」とBGMをつけてきた人もいました。
畑 あれは面白かったね。「あぁ、いけるな」とも思いました。
文化となることを目指して
畑 袖ケ浦工場と日産エンジニアリングの取り組みは、全社的にも「面白そうなことをやっている」と、認識されてきたと感じます。これがどこかに飛び火して、また別の動きが生まれたら面白いと思います。
実は、5人いる工場長が毎月集まって様々な情報交換をしあう、「工場長定例会」というものも始めました。これまでも半年に1度は集まる会があったのですが、内容は定型的な報告が中心でした。今は仕事のやりがいや各工場の課題、取り組みの成功・失敗事例などを共有・議論していますので、生産技術全体で課題を深く共有できてきたと感じます。これもきっと何かしらの変化の兆候です。
加島 人をつなぎ、想いをつないでいくことが、組織文化を変えていくはじめの一歩だということを改めて感じました。本日はありがとうございました。
Interviewer/株式会社セルム 代表取締役社長 加島 禎二 執行役員 戸田 幸宏 東京本社 経営開発部 シニアマネージャー 上 雅俊
2024年8月取材
※所属・肩書・記事内容は取材当時のものです。