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「経営リーダー」が持続的に生まれる状態こそ
その企業の持続性を担保する

更新日:2023.11.27

株式会社フジクラ 取締役会長 兼 取締役会議長 伊藤 雅彦 氏
株式会社フジクラ 取締役社長 CEO 岡田 直樹 氏
株式会社フジクラ 執行役員 コーポレートスタッフ部門長 兼 人事・総務部長 森 祐起 氏

138年の歴史をもつ株式会社フジクラは、近年の厳しい事業再生フェーズを乗り越える間も、持続的成長フェーズに移るにあたっても、一貫して「経営リーダー育成」の取り組みを強化してきた。
その裏にはどのような想いと経営合理性があるのか。
取締役会長の伊藤雅彦氏、取締役社長CEOの岡田直樹氏、執行役員コーポレートスタッフ部門長の森祐起氏の3氏にお話を聞いた。

経営リーダーの育成は、なぜ必要なのか

加島 創業138年という歴史を誇るフジクラ様では、伝統的に社長の指名は前任社長の専権事項であり、伊藤会長が社長となられた際も同様に前任社長の指名だったとお聞きしました。その伊藤会長はご自身の社長就任直後から、経営リーダー育成の仕組み化に着手されました。この取り組みが必要と考えられた理由をお聞かせいただけますか。

伊藤 それを説明するために、まず私のキャリアを紹介させてください。私は入社後10年間、サーマルソリューションという電子部品に関する研究開発部門におりました。ここでは研究開発だけでなく、製造にも営業にも一通り携わることができました。その後の20年間は超高圧の電力ケーブルの製造部門で、年上の部下とのコミュニケーションに苦心する立場になっていきました。2005年に高電圧の電力ケーブルの大手6社を3社に統合することになった際には、フジクラ – 古河電工の合弁会社の製造部門のトップを務めることになり、この時はビジネスマンとしての修羅場を味わったと思っています。異なる企業文化を受け入れ、人間関係を構築する困難さは、これまでの比ではありませんでした。ただ、残念ながらその合弁会社は2015年に解消いたしました。
そして2016年に私は社長に指名されました。その際に前任の社長から理由としていわれたのは、私がこのような経験をしてきたので「人の話を聞ける」という点でした。そして、うがち過ぎかもしれませんが、私はもう1つ理由があったのではないかと思っています。超高圧の電力ケーブル事業はフジクラの祖業なのですが、産業インフラが一通りそろった先進国では、この先大きな成長は見込めない事業といえます。これから整理縮小していくなら、ずっとこの事業で育ってきた私が権限と責任をもって進めるのがよいのではないか、ということです。少なくとも私は、「それは私がやるべき仕事だ」と思いました。
ただ、社長というのは実に様々なことを最終決定しなければならない立場です。「前任者が指名したからOKではなく、社長の力量や器、知識やスキルについては、もっと様々な角度から議論されて然るべきであり、もっと明確な基準のようなものがあるべきではないか」。こんなことを社長であった私がいうと周囲の方に叱られそうですが、本当にそう感じていました。
また、当時から私は部下に、自分があるポジションを与えられたら、必ず次にそのポジションを任せられる人財のサクセッションプランを考えるように伝えていました。私が社長就任後、すぐに経営リーダー育成の仕組み化に着手したのは、このような問題意識からです。
そこでまずはトライアルと位置づけ、社長就任の翌年から経営リーダー像の明確化に着手しました。その後、社内にも本人にも明確な期待値は伝えていませんでしたが、経営者の後継候補と見なした複数名へのメンタリングなどをスタートしました。現社長の岡田は、この動きの中で見出した人財でしたので、必要なタイミングで活動がスタートできたと思っています。

経営リーダーに必要な要件とは何か

加島 経営リーダーに必須の要件はどのようなものだとお考えになったのでしょうか。

伊藤 人柄と、経営に必要な経験をしているかということです。
当社は2019年に決算上で大きなマイナスを出してしまいました。私はここを境に、自分の判断において何が欠けていたのかを考えるようになりました。事業環境がよい時には問題は起きないのかもしれませんが、それでも経験のある人間が見る世界と、ない人間が見る世界は違うのです。状況の説明を聞いても、それが正しいと信じて議論を始めることしかできません。危険な臭いを嗅ぎ分けられる嗅覚のようなものが必要で、そのために求められるのは多様な経験である、との考えに至りました。
当時の岡田は通信事業一筋という経歴でしたので、2020年1月にフジクラ全体を見る立場を経験してもらうために、本社の経営企画部門に異動してもらいました。

加島 伊藤様の次の社長は、何をすべきだと思われたから、岡田様になったのでしょうか。

伊藤 通信事業はフジクラのもう1つの祖業です。まだまだマーケットがしっかりあり、その戦略をきちんと描き実行していくべき、という想いがありました。また、私は名前も所属も知る前に彼を見かけ、とても印象に残っていました。佐倉事業所を訪れた際の食堂で、食事が終わっても誰も席を立たずに楽しそうに談笑しているテーブルがあったのです。その談笑の中心に彼がいました。そんな人柄も魅力でした。

岡田 食堂の件は自分が楽しくて話していただけなので、そのようにおっしゃっていただくのは恐縮です。メンタリングも受けさせていただいていましたが、正直に申し上げると当時は自分が社長になるなどとは、夢にも思っていませんでした。本社に異動になった際にも、「私は本社にいるより、佐倉で事業をやらせておいた方が会社のためになりますよ」と申し上げた記憶があります。ちょうど想いをもって立ち上げた事業がうまくいくかどうか、結果になりつつあるタイミングでもあったからです。
2020年1月に経営企画に入って3カ月で経営企画室長兼、いきなり常務執行役員。その翌年は取締役COO、さらに翌年には取締役社長CEOを拝命することになり、後は必死に務めてきました。

伊藤 本来的には、様々な経験を数年ずつ。2つ、3つするのが望ましいですから、30代後半ぐらいから準備をしていくべきと思います。

岡田 CEOとなった際には、やはりこれまでの仕事との明らかな違いを感じました。特に私は、コーポレート部門がわかっていませんでした。ただ事業に関しては、こうやっていきたい、というイメージはありました。
実は私が長く携わってきた情報通信の光ケーブル事業は、国内の敷設が行き届いて以降、事業としては苦しい状態が続いていました。赤字が数年続いたこともあり、「何をやっているんだ」「いつまで事業を続けるのか」ともいわれました。当時この事業に関わっていた仲間は皆、心が痛んでいました。そんな状況の中で1つのアイディアを掲げて新事業を立ち上げたのですが、その時に意識して行ったことは、「このような理由があり、この部分を変えていけば上手くいく」という、紙芝居のように語れる戦略ストーリーを描いて周囲に話すということです。目の前の現実は赤字だったので、客観的には絵空事だと思われてもおかしくなかったかもしれませんが、皆さんの意見を取り入れて戦略ストーリーも洗練されていったような気がします。そして「なるほど。上手くいくかもしれない」と思ってくれる人も増え、皆の心に火が灯るような感覚を味わったのです。これを全社でやりたいと思っています。

加島 それが岡田社長のリーダーシップスタイルだということですね。

あらゆる取り組みのベースになるもの

伊藤 目の前の課題の解決に手一杯になることのほうが多いと思います。それをさらに進めて、将来の事業戦略となるストーリーをつくることが、今の私たちには必要です。岡田のような人財をどれだけ育成できるかに、フジクラの将来がかかっているように思います。そのために有効な仕組みをもたねばなりません。

岡田 私と同じようなとおっしゃいましたが、全て同じタイプの人財が必要なわけではないと思います。その時々の状況や企業のステージによっても、ベストな人財というのは変わってくるのではないでしょうか。

加島 一人ひとりが異なること。多様性を前提にするということですね。

岡田 一人ひとりは多様でも、最後はベクトルを合わせなければいけません。ここが難しいのですが、先ほど申し上げた「戦略をストーリーのように語る」ということは、私は多くの方々の力のベクトルを合わせる手段の1つだと思っています。ベクトルが合うことは、モチベーションがあがることにもつながります。ただ、より大切なのは、ストーリーの中身より多くの人が賛同してベクトルを合わせて動けるかどうかです。もしかしたら人間性やカリスマ性で引っ張れる人もいるかもしれません。様々なやり方があっていいと思います。
何より全てのベースだと思うのは、気さくな人間関係です。忖度はしない。いいたいことをいう。そんな関係がないと、自分と違う考え方があるということや、間違っているといったことに気づけません。
私は佐倉事業所勤務が長かったので、佐倉では皆がいいたいことをいってくれているという感覚があったのですが、本社に異動した際は、心の中に思うことがあっても顔色をうかがわれているような雰囲気を感じることがありました。それは、私がそれなりのポジションに就いてから出会ったという理由もあると思うのですが、何かこの状況を脱するためによい方法はないかと考えていました。最近、その方法の1つを見つけることができました。それが「CEO月例会」です。

 「CEO月例会」というのは、社長の岡田が月に1度、CxOや部門長に向けてフジクラの戦略をストーリーとして語る会議のことです。会議はオンラインで行われ、その録画は参加者から事業部長へ。事業部長から部長へ。部長から課長・グループ長へ。課長・グループ長から一般社員へと共有していきます。

岡田 そこで語った内容に対するフィードバックが、毎回100件以上あります。耳の痛い話というのは、ポジションが上がれば上がるほどいわれにくくなります。10人に話を聞いても、誰もそんな話をしないかもしれません。しかし、100人に話を聞くことができれば2〜3人からは、ウッと唸りたくなるような耳の痛い話を聞けるのです。100人に話を聞くのは大変ですが、コロナ禍によって普及したオンラインではそれが可能になりました。
事業の戦略ストーリーをより多くの方に語る方法として始めたことなのですが、耳の痛い話を聞く方法としても有効であることに気づきました。

全ては質の高い生き方のため

加島 このような取り組みや経営リーダー育成の取り組み全体のキーマンとして関わっているのが森様なのですね。

 私が今のポジションに異動した当初は、「経営者を育成するなんて我々人事にできるのか」と結構重く感じました。しかしよく考えると、この取り組みで目指しているものの本質は経営の持続性、ひいては企業としての持続性を担保することです。会社としての大仕事に関われるチャンスであり、人事だけが責任を負う仕事ではない、という心強いような誇らしいような気持ちに変わりました。
経営リーダー育成の取り組みは、トライアルという形からスタートして徐々に体系化を進めていたのですが、当初は社内に公式には周知していませんでした。それを2022年度から社内イントラにも掲載し、4階層ある経営リーダー人財育成の一番若い層については公募も始めました。今後、全体として透明性を高める方向で進めたいと思っています。部門にも協力を求めやすくなりますし、社員の方も自分で考えるための機会が得られることになります。

戸田 今、実施中のプール③の経営リーダー育成プログラムは、推薦の方と公募の方で一緒に進めています。それが参加者全体にとって、よい刺激になっているように感じます。

伊藤 何をどのように評価をしたのかも含めて透明性は大事です。この人はどのような基準に合致しているから選ばれたということに腹落ちしてもらわないと、変なジェラシーを抱いてしまう。不協和音が生じてしまっては全て台無しです。
取締役についても同じことがいえます。本当にこの方が取締役でいいのか。1年の任期中に何をやったのか。客観性と透明性をもたせながら、議論ができるようにしたいですね。

 経営リーダー育成プログラムは、今はフジクラ本体が中心となっていますが、近いうちにグループ会社にも幅広く展開していきたいです。また、プール③は1年ごとに入れ替えをします。経営リーダーとしての教育や機会を得る人財をなるべく多くすることで、社内全体の認知と経営リーダー育成の気運を高めていきたいと思います。

岡田 一方でそういう場に手をあげて参加するタイプの人財ばかりではないということも、忘れてはいけません。もちろんなるべく多くの人に手をあげてもらえるようにしたいですが、日々の業務が忙しい、また経営に興味がない等といった理由で参加を見送る方もいらっしゃいます。自分もそのタイプだと思います。手をあげないタイプの人財をいかに見過ごさないようにするかも、考えていかなければならないと思います。

伊藤 とにかく、未来は人財が鍵です。これに勝るものはありません。そのために、質の高い、意義のある生き方をしてもらいたいと思っています。Well-beingです。そして社会に価値を提供できる人財になってほしい。それはもしかしたら、フジクラという器の中に納まらないことかもしませんが、そもそも人財は社会全体にとっての資本です。格好いいことをいうようですが、世界のどこかで価値を提供している人財が、実はフジクラで育った人財だとわかったとしたら、それは幸せなことだと思います。
そのためには皆に学んでほしい。自走するようになってほしい。特に、目の前の課題解決に忙殺されているマネジャーにも、この想いを共有してほしいと思います。

加島 おっしゃることが人財を資本と捉える、本質の部分の考え方だと思います。そこに向けて我々はもっと成長しなければならないと改めて思いました。本日はありがとうございました。

Interviewer/株式会社セルム 代表取締役 加島 禎二 ゼネラルマネジャー 戸田 幸宏
2023年9月取材
※所属・肩書・記事内容は取材当時のものです。

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