SAPジャパン株式会社
執行役員 人事本部長
アキレス 美知子氏
SAPジャパンは、ドイツに本社を置く基幹業務システムベンダーの日本法人である。世界130か国以上の導入実績をもつ先進グローバル企業という印象が強いが、2010年頃まではそれぞれの拠点で独自の人事制度や運営を行っていたという。
2010年に打出した中期経営計画の実現のために組織の変革が待ったなしとなり、人事を含む組織変革に取組んできた。2016年は3年ごとの組織変革計画の第2期目。これまでの着地点が見え始める2年目にあたる。
この変革を第二期目から担当する人事本部長のアキレス美知子氏に、これまでの取組の内容と成果、そして人事のあり方について、お話を伺った。
SAPジャパンの組織改革
加藤 私たちからしますとSAPジャパン様は最初からグローバル企業のように思えてしまいますが、2010年までは、トップのポジション以外は、国ごとに個別最適な運営を行い、日本企業とそれほど変わらない実態であったと伺いました。そこから組織の変革を目指すことになった、その背景からお伺いできますか。
アキレス 2010年以前も、グローバルで事業展開をしていましたが、各国拠点で行う業務の重複があること、どんな人材がいるのかがわからないことなどに問題意識をもっていました。そこに、「クラウドカンパニーになる」という明確な企業戦略の方向性が打ち出され、「2015年までに事業領域を2倍にする」という意思決定がされました。そして、事業の遂行はもちろん、組織の運営もグローバルレベルで行う必要があり、人事のあり方も変革することになりました。
人事部はさっそく経営陣とともに、2010年以降にやらなければならないことを3つ決めました。
最初に行ったのは、人事部自身をグローバル組織にすることです。国ごとに分かれていた組織をグローバル人事組織として再編成したのです。これによって、それまでは国ごとの上司にレポートをしていたのが、グローバルの人事にレポートするようになりました。日本に関していえば私の直属の上司は、シンガポールにあるアジア太平洋地域人事本部長、コロンビア人です。もちろんSAPジャパンの社長にもレポートしますが、一義的なレポート先はアジア太平洋地域本部です。
加藤 そのことによって得られるメリットはどのようなものでしたか。
アキレス グローバルで統一した方針が通りやすくなった、ということが大きいと思います。ITシステムの場合と同じで、いろいろな例外を認めていくと、国内での使い勝手はよくなるかもしれませんが、グローバルでは滞ります。それでよい場合もありますが、日本の国内だけで競争をしているのではありませんから、グローバルレベルでの効率とスピードを重視しています。また、人材はもちろん経営資源がグローバルレベルで利用しやすくなったということも、大きなメリットだと思います。
2点目の変革は、当社の専門分野でもあるクラウドシステムを使った人材情報の統合です。氏名、入社・異動履歴といった基本情報はもちろん、社員一人ひとりのプロファイル、評価、タレントマネジメント情報や教育コンテンツに至るまでを1つの仕組みの中で提供し、管理できるようになりました。例えば今、日本で、あるポジションの人材が必要になったとします。まずはグループの中から人材を探しますが、システムを使えば、国内だけでなくグローバルからすぐに複数の候補者をピックアップすることができます。人事がアナログ的に人材情報を集めるというやり方もありますが、その作業に労力をかけるよりも、テクノロジーにできることはテクノロジーに任せ、なぜこの人がこのポジションに最適なのか、その先のキャリアはどう描くのかといった質の高い会話にエネルギーを使うべきです。
さらに、一部のコア人材についてだけでなく—everybody is talent—すべての社員をタレント(人財)ととらえ、情報を集めてタレントマネジメントの対象にしました。これが3つ目の変革です。
SAPのグローバル統一の評価指標
加藤 タレントマネジメントをグローバル単位で行う場合、統一した評価指標をどのようにもつかということが、難しいポイントの1つだと思います。どのように設定、運用されているのかを教えていただけますか。
アキレス 人材のレーティングは「パフォーマンス」と「ポテンシャル」の2つの側面から把握します。
パフォーマンスレーティングは目標に対する達成度をファクトベースで評価するものです。これには5段階あります。真ん中のレーティングを「サクセスフル」と呼んでいます。期待通りの成果をあげたという意味です。その上が「アウトスタンディング」。一番高い評価が「エクストラオーディナリー」。少し下の評価が「プログレッシング」。一番下の評価を「ミスフィット」と呼んでいます。能力が低いというわけではなく、業務とフィットしなかったという意味です。
加藤 言葉遣いにも非常に気を使っていますね。
アキレス そうですね。評価は社員のモチベーションに直結しますし、グローバル共通のシステムですので、どんな言葉を使うのかは重要です。
ポテンシャルレーティングは、成長の速さを期待できる程度で3段階に分けています。全体の人員の約80~85%が「グロース」、普通の速さの成長が期待できる人たちです。10%前後が「アクセラレイテッド」、少し早めに今より一段上のポジションを任せても大丈夫だろう、と思える人たち。そして、5%以下だと思いますが、二重三重にストレッチをさせても、おそらく大丈夫だと思える人たちを「ファストトラック」と呼んでいます。
「パフォーマンス」「ポテンシャル」とも、直属の上司が12月半ばまでに評価をして、それぞれがシステムにいれていきます。
次に部門、国そしてグローバル地域横断的に持ち寄って検討し、その結果をフィードバックしていきます。私の場合であれば、アジア太平洋地域の各国の人事本部長と検討を行います。直属部下の評価がなぜそうなのか、具体的にどんな成果をあげたのか、といったやりとりを行います。
余談になりますが、グローバルな組織になっていきますと、共通言語である英語で説明をし、納得を得なければならない場面がどうしても増えます。それが難しいとなると、部下の評価が不利になってしまうことさえあります。勝ち取らなければならない成果を勝ち取れない、部下を守ってあげられないことになるのです。グローバルに事業展開をするのであれば、日本の企業であっても海外の企業であっても、英語で理路整然と説明できるコミュニケーション能力は必須であると思います。
サーベイの結果から課題を設定し、対策プロジェクトを立ち上げる
アキレス SAPでは年に1回、社員の意識調査を行っており、その結果を経営会議のメンバー全員が目を通します。無記名のコメントにも一つひとつに目を通しています。そして何が課題かを定義し、アクションをとっていきます。この種の調査では、「結果を見るだけで、その後は何もやっていない」ということもよく耳にしますが、それでは答えてくれた社員に申し訳がないですよね。
昨年は、社員意識調査の結果を受けて5つの課題を設定し、プロジェクトを立ち上げました。例えば、その一つ
が「ラーニングカルチャーづくり」です。当社には、社員がいつでもオンラインで学べる数多くのプログラムがありますが、それがあまり使われていない、ということが明らかになりました。このような学ぶ機会は、自分から能動的に動かないと活かされませんよね。そこで「ラーニングカルチャーづくり」を課題にしたのです。
経営会議メンバーは、それぞれの課題のエグゼクティブスポンサーになります。6名~8名程度のプロジェクトチームを社内につくり、2ヶ月に一度の頻度で経営会議に報告をしてもらいました。
その成果として動き出したものもあります。TERAKOYAという社内SNSを使った社員の自主的なラーニングコミュニティが誕生しました。例えば「最近よく目にするけれど、IOTって何のこと?」といった疑問をSNSに誰かがあげると、社内の他の誰かはそれを説明できるわけですよ。では、それをテーマにした勉強会をやりましょう、ということになり、勉強会が実施されます。他にもいろいろなテーマで興味のある人が手を挙げ、学び合うセッションが、この半年で21回開かれています。この勉強会運営には人事は全く関わっていないのです。
加藤 自主的に学び合う風土づくりは、どの企業でもつくりたいと考えていると思います。何が一番ポイントなのでしょうか。
アキレス 科学的な答えではありませんが、大事なのは社員の力を信用して、「何かやってくれるのではないか」というスタンスで臨むことです。
例えば、プロジェクトメンバーが忙しくてぎりぎりになったとしても、何かまとめて発表してくれます。経営会議では、その中で進歩した部分を認めて、フィードバックする。多少「ん?」と思ったとしても、やってもらう。
この、やってみて結果を発信するということが大切です。グローバルでは発信をしないと認識もされません。例えばこれも社員のアイデアでスタートした「フライデーカレーランチ」という会があります。最初は「ただカレーを食べるだけ?」と懐疑的な意見もありましたが、毎回参加者は抽選となるほどの人気があるイベントです。参加者は自分の所属部門以外の社員と同じテーブルでカレーを食べることになっており、互いの理解を深めるよい機会となっています。いいと思うことは、ともかくやってみたらどうか?そんなカルチャーづくりを、これからも強化していくつもりです。
実は、変革への取り組みの中で「あるべき姿づくり」といったことは、それほど難しい事ではありません。理想像を考えることは、前向きで、楽しいですよね。しかし、本当に変革を前に進めるのは、一つひとつの結果の積み上げなのだと思います。
ダイバーシティをいかに取り込むか、が変革の鍵
アキレス 私は、ダイバーシティを活かすことが変革の鍵になると考えています。例えばゴルフで、最初から最後までドライバーを使って打つ人はいないでしょう。状況にあわせて様々なクラブを使いますよね。組織変革も目標達成のために行うものですから、状況をみて、様々な手法を柔軟に取り入れることが必要です。
また、「変えましょう」というのは簡単ですが、人はそれぞれヒストリーや想いをもっていますから、頭では理解できても気持ちの部分で割り切れないこともあると思います。しかし、異なるやり方の良いところを取り込んでいくということは、これまでのやり方を捨て去れといわれるより、抵抗がないと思います。それぞれの「いいとこどり」をしていくことで新しいヒストリーができていくのではないでしょうか。
人事は人事分野のプロとして動けなければならない
加藤 変革といった取り組みに対して、最初からネガティブな反応をする社員もいると思います。このような場合はどう対応したらいいのでしょうか。
アキレス それぞれに原因がある筈ですから、その原因によって対処の仕方は様々です。ただ、ネガティブな反応をしたとしても、遠ざけるのではなく、巻き込んでいくようにします。その人の強みを活かす役割で参画してもらうことはもちろん、実力がある人には抜擢人事を行うことなども考えます。
人事ができることは、たくさんあります。変革の際にトップの強いリーダーシップは重要ですが、過度な期待を戒めるため、人事部員には「上をあてにするのはやめよう」と話しています。
加藤 それはどのような意味でしょうか。
アキレス 経営者は当然、人に関心と責任を持っています。ですが、日常の細かな部分にまで目が届くわけではありません。人事は、人事分野のプロとして、環境の変化や組織の状況に目を配り、変革を成功に導く存在でなければなりません。
「社長がやれと言ったから」といって動くのは容易です。しかし、それでは人事も社員も「やらされ感」が先行し、納得しないまま進めることになります。方針が決まる前には経営陣と様々な観点から議論し、方針が決まった後は、なぜ必要なのかを社員に対して説得できなければ、変革は進みません。人事部には、経営陣と社員の懸け橋となり、深い議論をしていってほしいと思います。
加藤 様々な課題をクリアにお話しいただき、ありがとうございました。
Interviewer:株式会社セルム 取締役 加藤友希
2016年1月取材
※所属・肩書・記事内容は取材当時のものです。